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イロハ
昨日の出来事がなんとなく気分がわるいというか萎えるというか…
書いてすっきりしておこうと思う。
ちなみに、私が愛している人のこと。
私は最近、このひととの出会いや、愛したまま別れを選んだ自分、別れるということなんかの
すべての意味と理由がわかってとてもしっくりきている。
そして決めた。というか私自身の意識が決めようとする前に、もう決まっていたことを
ダウンロードして言葉にしてみるとするなら、
私は一生他の人を愛することはないでしょう。この人だけが私にとってのたった一人です。
そうして、私はきっと誰とも結婚しないでしょう。
私はたぶん彼を追いかけることはない。必要ならばまた出会う。
愛するとは、信頼であって、
信頼とは、その愛する人を信頼するのではなく、
究極的には愛する自分を信頼することなのだ。
信頼とは関係にささげるものではなくて、なんの保証もないのに信じぬくことなのだ。
保証は、信じぬいている自分なのだ。
これが理解できたとき、私は現実的な意味での関係性や出会うことなどに縛られず
ただただ愛するということをわかったのだと思う。
なんてそんな日々の中、
昨日プロポーズされてしまった。人生というやつは。
私はもちろん、私のスムーズな決意を伝えた。一生愛している人がいて私はだれとも
結婚しない、もちろん彼以外は。と。
それよりも何よりも、私は実は嫌悪していたりする。
仕事で私は会ったのだ。
私は仕事でかかわった人に女として見られることがこのうえなくいやなのだ。
そうして、私を女と見て、唐突に踏み込んだ関係を口にするその人の
弱さを見せられたことが一番いやだった。
弱さは飼いならすものでもなく、律するものだから。
そしてそれは可能なのだから。抑え込むのではなくて、
何が本当に真実なのかを追究できるのなら自我をコントロールできるのだから。
すべての人、すべての状況でそれらを強いるわけではなくて、
何より彼が、そうしたことを理想として滔々と語ってきた人だったので、
こと恋愛や異性の間においては、その点を適用できないほどに弱い人間であることを
露呈したことが、私には気持ち悪くてならなかった。
そう、私の弱さはここにあり、私は自分と同じくらいに強くないと受け入れられないという自我
がある。これは課題でしょう。
また、自分勝手なもので、
自分が恋愛対象として見ていない人に逆に対象として見られることが
もう信じられないほど駄目なのだ。生理的に。
難しいわがままな人なのです。私。
しかし、恋愛関係を築いていないうちの、言ってみれば片思いの段階でプロポーズって
どんだけあんた今さみしいんだ、ってくらいこのひとが弱っているのがわかったので
できる限りやさしく接するくらいは頑張ったのだった。
SATC2
ドラマにはまったのは7年くらい前で、私はまだぎりぎり20代後半だった。
主人公たちとリアルな世代ではなかったけれど、
それでもその日常や心模様や美意識、様式美なんか非常に共感し、
とくにひと月にわたって、転職面接過程だった日々は毎日数本レンタルしてたくらいはまった。
それなのに08年の映画は観に行かなかった。
あまのじゃくだから、お祭りみたいに騒がれてると行きたくなくなるのと、
ドラマは好きだったけどファンではないという、あの熱狂には入り込めなかったのと、
一緒に観にいきたくて誘った彼が、仕事で試写チケットをもらって既に観に行っていたことに
相当の衝撃を受けてしまい(当時はまだそんなことに揺れまくってたんだねー)、
こうなったら意地でも観るもんかと決めてしまったんである。
けれど、今年はお祭りに参加するくらいの気安さで見ることにした。
事前に相当にひどい評が出回っていたから気がラクで、アリス〜〜〜よりも
ぜんっぜん人が少なかったことに驚いた。封切間もないのに。
そして、場所柄か、ゲイの男の子たちが結構多くて、あとはすごい若い子(20代前半)
や私よりもあきらかに うんと年配のねーさんたちなんかが多かった。
で、内容は本当に、びっくりしちゃうくらいつまらなくって、
あくびがとまらないし、早く終わらないかななんて思ってしまうほどだったのだけど、
いくつかのSATC的だなーという場面で、拍手が起こったり、
みんなが笑う声がそろったりするシーンがあって、私はそれに驚いていた。
つまり、楽しんでいるのだ。
たぶん、内容がどうとかそんなことじゃないんだろうと思った。
SATCの世界を体験しに来ている人の方が多いのだ。
ゴージャスでおしゃれでファッショナブルで、過激な会話にセレブなライフスタイル。
しかも歓声や笑い声が起きるのは、きまって過激でセクシャルなセリフのとき。
なんとなく思った。日常でタブーとされてる人たちはまだまだ多いんだろうなと。
ストーリーはめちゃくちゃで、ドラマ版の奥行きなどは皆無なんだけど、
まあこれはイベントなんだろうなーーと思うと納得する。歓声の起こり方などみてても。
終わってから私はなんとかこの体験に集中しようとして(批判精神や評論清新を目ざめさせない
ように必死だった)いたからとってもくたくたになってしまったのだけど、眠かったし。
お化粧室で20代前半くらいの若い子たちが、
「最高だったね!いきたいよーーアブダビ!!」と言っているのを見て
ああ、映画ってやっぱりいいなーと思った。
いろんな人がいて受け取り方もいろいろで、誰かは確実に楽しめてるなんて。
率直な感想としては、登場人物たちが年相応に老けていたのが安心でした。
雑誌では修正されすぎていて年齢不相応なので。
秘密
コントロールすることを、手放した気がする。ごく自然に。
私は彼を愛すること自体も、自分が管理人になって自分の感情や行動を
厳しく管理していた気がします。
「want to」 と 「have to」 がいつもせめぎあっていた気がします。
けれど、今はもうなんにも頓着しない。
ただ、愛だけがシンプルに残った。
そうして、必要ならまた出会うだろう。もしかしたら今の人生ではないとしても。
必要ならば。
コントロールをやめるというのは、そのとき思い立った行動や思いに
規制をかけないということも意味する。
だから私は今日、本当にそうしてみたいのか自分によく尋ねたうえで、
ものすごい久しぶりに彼に電話をかけた。
少し前に、私に対する思いを彼に着信拒否という答えで表して、とメールしていた。
私がいつか電話をかけられるようになって、そうしてそのとき、
もう完全にあなたが私を迷惑だとしか思わないのなら、
どうぞお願いだから着信拒否にしていてください、と。
それで私はあなたの返答を理解します、と。
緊張はしたけれど、答えを知りたいとも思ったし、また彼が恋しいなぁと
思ったのでもあり、私はコールした。
なんと呼び出し音がする。5回ほどで切ったけれど、
着信拒否されていなかった。もちろんそのことで喜んだり大騒ぎは
しないけれど、少し面食らった。
でも多分にあの人のことだから、面倒でその対応をしていないだけなんだとも思う。
私は着信拒否だったら、彼をあきらめる、忘れる、そのことに迷いなく進めると思った。
なんて肩すかし。
小さな小さな、けれどものすごい大きな意味のあるアクションを
したこと。誰にいうでもない些細なこと。
それでも私には大きな秘密。
顛末
湯船でお湯に神経をほぐされていくと、私の思考は唐突にまとまりはじめたりするので
お風呂タイム、あなどれない。
そうして今朝方、私はすべてがわかった。
私がこの二年、愛ということに本気で挑もうと決意して、この人とパートナーシップを
築きたい、生きることの壮大さを共に経験したい、と思ったかの人。
私は気づいたのだ。彼は、私にとっての「社会」だったのだ。
彼は整った外見と、たぶんそれを自覚してのファッション、高給ゆえの装身具で
人目をひく容貌だ。しかも私の好みの真ん中で、とてつもなくかっこいい容姿だ。
そして、世界的にも有名な一流企業に勤務している。にも関わらず、
そこでうまく組織人として生きながら、個性という部分を捨てずに自己を保っている。
私は、彼に完璧な理想を見ていたのだ。無意識だけど。
私も大企業と呼ばれるところで仕事をしていた。けれど、その縦割りの組織においては
私はアイデンティティの共存ができなくて、苦しんで別の道があっていることを知った。
けれど、本当の本当は、大企業で社会的名声を得て、その中で自分らしくいられたら
一番いいと、潜在的な私は思っていたようだ。今回はじめてそのダークネスな心理を
見つけた。
私は、いつもいつもいつも、彼にだけ、
「承認」されたかったのだと気づいた。アクセプトされたかった。なぜ?
それは、彼に投影した「社会」に受け入れられたかったから。
社会に、認められたかったから。
つまり、自分の軸で社会と接点を持てていなかったのである。
驚いた。びっくりして息をするのを忘れた。
何故なら、振り返れば20代から今に至る中で、思い当たる節がさまざまあるのだ。
とっくに癒して乗り越えていたつもりのダークネスを、おそらく最後の克服する機会として
彼によって知った。
前に書いた。出会う人は自分の鏡だと。
私は、他のものに存在理由を求めずに(誰が愛してくれる自分、とかそういう代替)
自分という存在を正面から受け止めきって、それで社会に調和していることを
宣誓していく生き方をしなくてはならないのだとはじめて気がついた。
今の私が在るのは、彼のおかげだ。
彼と対峙しながら自分に対峙して、癒すべき傷をたくさん癒し解放してきた結果、
私は流されるように社長からフリーランスになった自分を見直し、
再度マネジメントを学ぶため会社に入り直し、そして改めて自分がやり遂げるべきことを
知り、見つけ、一歩踏み出すことになった。
その過程で私は人間的に大きくなったとおもっている。器が、ではなく
豊かに広がったのだ。
驚くべきことではないか?
たった一人と運命的に出会い、苦しんで、その倍も幸せで、
私は自分を構築していった。在るべき姿に。
それに思い至ったとき、お風呂場で声もでずに泣いた。
感謝の涙だ。
そして確信している。何度別れても変わらなかった確信。
また、出会う。
ふさわしいタイミングで。
それを急いではいけない。すべては完璧なタイミングで訪れるから。
こんなにも人を愛していることに、ただただ驚いている私だ。
あらあらそんな
まだあったのかーと思ったり。
どんな人でも出会う人は、自分の中に同じものを持っていて同種を
引き寄せていると言う。
いけすかないな、とかむかつくひとには好意を持つ人以上に注意したい。
なぜなら、自分の中に同じ要素が隠れてもっており、隠れてというからには
自分が嫌悪するからこそかくしているのだ。
そして、今起きている現実は自分が望んで引き起こしているということにも
注目すると、(これは前提として今考えていることがすぐ叶うという意味ではなく
もっとタフな話だ。自分自身を意思の想念を送る発信体として考えた時、
いつもいつも充実した意思をきちんと宇宙にはなっていてはじめて言えるこだから
自己意思をマネジメントしていないと望む状態にはならない。無意識時にさんっざん
放っている垂れ流しの思考の方が時間が長ければそれが正式な送信とされるわけだから)
パートナーシップというのは、意外にもこれらの件を本当によく理解して
生き方を望む方向にシフトできる関係構築だ。
最近もいろんなことがあり、はっと気付いた。
私はそもそも、パートナーといつも一緒にいたいとまったく思わないし、
食事や映画、普通にそうしたアクティビティを共にしたいと思わなくなっている。
むかーしは思っていた。なぜならそうしたことを共にすることが「つきあっている」ことの
証明のように考えていたから。
つまり、一緒にいない関係を望んでいたのだ。
では何を求めてきたかというと、「承認」だ。
私という人間を受け入れて肯定してほしいと、それだけを願っているということに
改めて気づいた。
それってたとえ話だけど、相手がだれかにケータイを渡して
「適当にメール送ってそれらしく対応しておいて」と言ったとして、
それだけで私はたぶん満足なのだ。勝手に自分を心身共に磨き、
愛している人の愛してくれている自分を大切にしようと精を出すことだろう。
これはすでにパートナーシップとはいわないことを考えるようになっていて、
もともとは決してそうではなかった。
いろんなことを諦めて、我慢してきた結果、さらに自己に対峙して
心の傷を解放してきた結果、
そんなふうに思うようになってしまった。
そうしてそれに気づくとき、私は残念だけれど私と彼の組み合わせが
もう学ぶことをすべて終えたのだと理解しないといけないなと思った。
けれど重要なのは、どうしてその相手が、あの人でなくてはならないのだろうということだ。
私は正直を言うと、他の誰かに承認してもらってもなんとも思わないし
恋人が欲しいなんて思えない。あの人に受け入れてほしい。
受け入れてくれさえしたら、私は希望と勇気で人生を乗り切っていくのに。
どうして彼なんだろう。
あと一個、残る疑問はそれだけだ。
これが解消できたとき、本当のお別れになるのかもしれないし、
いつかのための長い休憩になるのかもしれない。
びっくりだね!
スパイラル
という。
おかしなもので、私が相も変わらずあの人に思いをしたためていると
かつての男が半年ぶりに連絡をしてくる。
そう、なんだかんだ6年も続いてしまった、あれ、5年かな。その男。
私はその人をとても思ってきたんだけど、最初彼は私をかわし、その後
つかず離れずのポジションを確立し、私は忠誠をつくし、
なぜだか昨年、はじめて立場が逆転し、私を執拗に求めるようになったのだ。
そうして私は、愛する人がおり、その人だけに向かうために
生温かくぬめぬめとしたその関係を断ち切ったのだ。
男は、私の言葉を信じず、私は数度にわたってもう彼が特別でないことを
伝えなくてはならなかった。
「現実を受け入れてください。私は変わってしまったの」というコトバで、
やっと通じたかと思った。けれど、記憶というのはどんどん曖昧になるものだから
男はもういいかなというように、まるで何もなかったように、何度か私に
親しいメールを送ってきた。そのたびに無視し、最後はそれまでの関係に報いる意味で
「完全に別のものへと変えられるようになったらいい友人になれるでしょう。
だからお互いをこれまでの関係の中に落とし込めるのはやめて、素敵な人間に
なりましょう」というようなことを送り、しばらく音沙汰がなかったのだ。
けれど今月また、連絡があって、それはまったく何も変わっていなかった。
私は気付いた。この男は、とても弱い人だったのだと。
おそらく組織や家庭において、いつも我慢を強いられて納得がいっていないのだろう。
私を、私との関係を支配することで、すべての代替を果たしていたのだろう。
だから、彼が男性性を遺憾なく発揮するのに、私という仕組まれた弱者が
必要だった。それが歪んだ愛となっていた。お互いに。
それを、私がやめたのだ。弱い者として支配されることを演じるのを。
そうしたら、元に戻るわけがないのに、失ったバランスを彼はずっと求めている。
私は無視されることのつらさを、知っているから、
彼にメールした。つい数日前。
過去の中に落とし込めないで人間として素敵に生きていって、いつか新しく関係が
持てますように、と。同じことだ。
伝わったのかは知らない。でも無視より、何度でも伝えることが正しいと思ったのだ。
そうして私は、いっときのさみしさにも打ち勝って、
愛する人に愛を伝える。
至福というよりは、今そうしたいからというだけで。
ギフト
いろいろあるんだけど
難しいこと関係なくして、あの顔を見たいし触れたいし
それを思うと涙が出ます。
いつもいつも、街に出ると似ている人を探しています。
はっとするほど似てるような気がして呼吸が止まったりするけど
本当のところは似てる人なんていない。
唯一無二の人。
昔は私が全然必要のない彼の日常に嫉妬した。
私がいなくても楽しそうな人生を送っていることに嫉妬した。
けれどやっと、なんでもいいから幸せでいてほしいと心から思うようになった。
てんでばらばらに生きて、それぞれが幸せでいて、
距離をもって眺め合い、ときに一緒にいられるときに二人で同じ幸せを感じられれば
それでいいと、それが最高と今は思う。
自由をプレゼントしたらもっと愛するようになった。
自分でつくった決まりごとを捨ててみたら、自分がらくになった。
離れることが、いったん離れることがとても重要とものすごく確信していた。
もっと愛するために一度しっかり別れようと思ったのは私。
今はわかる。
次に会えたら、次に会えたら、どうやって全部伝えよう。
だめなやつって思われていた私を、変わったってわかってもらえるだろうか。
会えないことは絶対にないと思ってる。
それはもう、不思議な確かさでそう思う。
夢に還る
3時過ぎにやっと、ぱちっと目がさめました。
このところ、おかしなくらい良く眠りこんでいる。
眠りって、起きている間のことをこまかく整理する作業なんだそうです。
だから、眠る直前までぎりぎりまで考え込んでいたこととか、
起きると不思議と答えが出ていたりするものです。
そうしてたくさん眠って、おなかもすいてないし、のども渇いていなかったけれど
レモンをたくさん蜂蜜に漬けていたので、レモネードをたくさんつくって飲んだ。
自然のものを欲していたようです。
あら、まだ二時間たってないのにまた眠くなってきた。
せっかくなので再び夢に還ろうと思います。また明日。
三寒四温
どういうわけか、彼からのメールが母親に届いて(笑。さすが夢)
母親が気を使ってそれを伝える。
もう読まれているのに私は焦って転送作業をしている。必死に。
後でゆっくり読もうと思って、なぜか分断されている文章を
何度かに分けて転送するのに必死。一通転送したら原文を母のもとから消去、
焦りながら必死に作業する。だからほとんど内容は読めないでいたけれど
目にした文章のいくつかに、
まだ今は会えないけれど
何も心配することはないから
ということが書いてあった。
目がさめて思ったのは、『後で読もう』なんて思わずに、しっかり全部
読んでおけばよかった。なぜならもう、それは残っていないのだから。
そんな夢を見たのには理由がある。
昨日夕方、私は彼に久々にメールをしたのだ。
今距離があること、離れていることで、余計なことを何も考えずに
ただ好きでいることの幸せを感じるようになった。
思えば無駄に自分を苦しめてきたものだ。そうしたことを経験したからこそ
今、こんなふうに穏やかなんだと思う。
明日は2年前あなたに会った日だから大切に迎えるつもり。
いつか将来、会えるときがきたら、きっとあなたは素敵になっているだろうから
恥ずかしくないように私も毎日を楽しんで素敵になっていたい。
それぞれの毎日、それぞれの違った道で生きて。
元気で、幸せでいて。
というようなことをメールというより手紙を送るように書いた。
だからきっと、無意識に彼がその内容を受け取ったことを想像していたんだろうと思う。
それにしても4月だなんて信じられない寒さ。
あの日はもっと、暖かかったから。
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